日本ではあまり話題にならないんですが、昨日始まったスーダン南部の独立をめぐる
住民投票に注目しています。多分独立することになるんでしょうが、いろいろと問題が
のちのち起こりそうです。CNNとかアメリカメディアみてるとトップ記事に並んでるんで
ちょっと調べてみました。
スーダンはアフリカで最大の国で、面積は日本の6倍くらいあります。ここは世界失敗国家ランキング
http://www.fundforpeace.org/web/index.php?option=com_content&task=view&id=229&Itemid=366
1位というたいへん名誉なランキングを獲得した国です。2位はイラク。意外にも北朝鮮が13位だそうで。
まあ、そのスーダンの失敗の1つが南北問題なんですね。内戦だらけ。ここの内戦の火種は、北部と南
部では民族が違うんです。といっても北はイスラム教を受け入れた遊牧民が多く、南は古くから(4世紀
以前から)キリスト教などで農耕民が中心ということなんですが。
さらに西部もまた違う。これだけでかい国なのでそりゃそうなんですが。最近記憶に新しいスーダン内戦
は北部と西部の対立ですね。中国が肩入れしているようで、中国製の武器が沢山使われて内戦が悪化
したとか?!
そもそもスーダンっていう名前はサハラ以南の地域、サヘル地帯ともいいますが、そこの広域名称
なんです。なので大西洋岸のモーリタニア、ニジェール、チャドあたりは西スーダン、スーダンやエチオピアの辺が東スーダンなんです。
1820年代にムハンマド=アリー朝エジプトがこの地域を支配下に収めていきますが、エジプトもイギリスの支配下に入り、イギリスの力を借りて現在のスーダンを支配下に収めました。イギリス得意の植民地
二重支配ってやつで、2つの勢力の対立を利用して植民地支配をします。ここでも北部はイスラム教、
南部はキリスト教やアニミズムな地域が入り乱れています。それぞれを分断したのです。北緯8度以南と
以北で住民の行き来を制限したりして分断を図ります。それが一緒になって独立したのだからそりゃ問題
がたくさん起こります。アフリカの問題の半分以上はこの植民地の支配と独立が複雑な状況を生み出した
結果かもしれないですね。
1883年にマフディー運動が起こり、エジプト・イギリスからの独立の気運が高まります。それに対して
イギリスはチャールズ・ゴードンを派遣します。チャールズ・ゴードンは太平天国の乱で中国軍を率いて
勝利に導いた人物で有名です。しかし、チャールズ・ゴードンの籠城するスーダンの首都ハルツームは
マフディー軍により陥落し、チャールズ・ゴードンも殺され10年間マフディーの支配が行われます。
しかし、最終的にはイギリスによって制圧されてしまいました。その後フランスとの間にファショダ事件が起こりますが、イギリスとフランスはここでアフリカ2分割をお互いに認め合うことになりました。
ハルツームが現在のスーダンの首都ですが、ここは白ナイル川と青ナイル川の合流地点です。ここは
アフリカでも有数の大都市です。対岸のオムドゥルマンとあわせると500万人の人口がある都市圏です。
砂漠で遊牧しているイメージの国かもしれませんがこんな大都市もあるんです。
ところで、
キリスト教っていうと意外に思うかもしれませんが、イスラム教以前はエジプトはキリスト教だったんです。
今でもエチオピアはキリスト教が多いんです。そのあたりの歴史はこのサイトに詳しいのでそちらに譲り
http://www16.plala.or.jp/africanhistory/index.html
ますが、今のアメリカなどが南部独立をえらく支援しているのはキリスト教だからというのがあるかも
しれませんね。中国は北部を支援していたんですが、南部に石油やレアメタルがたくさん埋蔵されている
ことがわかって、あわてて南部に肩入れしているとも言われます。もちろんアメリカもそこに目を付けてい
るのでしょうが。日本はあまりこのへんに無頓着なようにも見えます。
もっともアメリカはクリントン政権時代にアフリカに肩入れしなすぎて、ルワンダ内戦などを引き起こした
と言われて批判されました。ここの内戦はフツとツチの2つの民族で対立して、片方が100万人くらい
虐殺したそうで。まあ、この2つの民族もスーダンと同じで、遊牧民と農耕民の違いでしかなくて、言語
は一緒だそうです。
とうことですが、独立するのは1つ歴史が動くことなので歓迎すべきことでしょう。
あ、でも石油がいっぱいある地域が南部と北部の中間にあるのが心配ですね。ここの取り合いをして
また内戦、というか今度は戦争ですね(><)そうならないことを願います。
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