今日は曽我簫白の墓にいこうとしたらもうしまってました。
最近マイミクのRyoくんの日記で話題になったのでふと
曾我簫白について追いかけてみようと思いました。
もう20年近く前ですが、横田健一先生の日本書紀研究会
で活動していた時に和歌山や伊勢で夏合宿をよくやって
いました。そのとき、和歌山の串本の無量寺で長澤蘆雪
の虎を見たとき、いろいろ追いかけてみると曾我簫白も
でてきたわけです。伊藤若沖は彼の住んでいた?といわ
れている石峰寺の麓に住んでいたのでよくしっていました
が、彼らを見いだしたといってもいい辻惟雄の一連の著作
『奇想の系譜』などに出会ったわけです。その後伊勢
ようやく曾我簫白の絵に出会うことになります。
http://www.pref.mie.jp/BIJUTSU/HP/collection/j_sa.htm#shohaku
3年前にやっていた平安人物志のGISデータ化の仕事でも
曾我簫白は出てきたのですが、同時代の円山応挙、池大雅
与謝蕪村などは住所がでていましたが、彼は上京としかなく。
これは弟子入りする人も少ないから住所を掲載しなくてもよ
かったのでしょう。
ちなみにうちで作らせてもらってたのはこちら↓
http://tois1.nichibun.ac.jp/hsis/heian-jinbutsushi/Heian/
第2版のP66です。
国際日本文化研究センターの『平安人物志』プロジェクトでした。
コスモス・ビューワーGISシステムをダウンロードしていただくと
古地図と現代地図で比較できます。
これは旧システム。上のが見れない場合はこちらで。
http://isjhp1.nichibun.ac.jp/contents/Heian/00066/fr.html
京都新聞の4月1日付私流この偉人京滋の歴史からに狩野
博幸さんの記事があり曾我簫白が特集されていました。ここで
面白かったのは、京都のこの時期にこのような人がでてきた
背景は何かと言えば陽明学左派からの影響があったからで
はないかと分析していました。狩野さんの著書『荒ぶる京の
絵師曾我簫白』というのがあります。まだ読んだことがないの
ですが、このへんに詳細が出ているのでしょうか。
京都造形大の専門学校の西洋美術史の講義中に何度かとり
あげましたが、もう講義をやめて1年。久しぶりに歴史に触れて
みました。
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